おうちにかえれない/かえりみちがわからない



 妹は僕より三歳ほど年上だった。僕が三歳のときにどこかから貰われてきた女の子だった。あまり人間ではなかった。
 父も母も季節に置いて行かれた枯葉のような色をした狼人で、僕も雨が降った後の土みたいな茶色の狼人で、妹は新品の画用紙に無理矢理消しゴムをかけたみたいな白銀の猫人だった。名字も違った。実のところ、僕たちは家族ではなかったのかもしれない。それでも「おにぃ」と吐き気を誘う淫靡な声で僕を呼ぶのだから、彼女は僕の妹だった。
 妹は白米が好きだった。麦飯や混ぜご飯などは認めずに、ただ味気ない真っ白なご飯だけを、一粒一粒むしゃむしゃと丁寧に箸でつまんで食べるのだった。そんな食べ方をしているものだから、妹はとても食べるのが遅く、おまけに冷えたおかずは嫌だと文句を言ってはその艶やかな唇を尖らせた。
「そんな食べ方では時間がかかってしょうがないだろ」
 両親は妹に対して何一つ話しかけようとはせず、ましてや諫言などもっての他だったので、僕はたまにそう言った。そのたびに妹はその紫金の瞳を輝かせながら嬉しそうに微笑んだ。
「だって、わたしはこれが好きなんだもの。だからこうするの。好きなのよ、おにぃ」
 ひどくもどかしい手つきで作業を続ける妹を見ながら、先に食べ終わった僕はいろいろなことを考えていた。僕が短い人生において為した考えごとの大半はあの茶色いテーブルの上で行われていて、その内容の大半は向かいに座っている妹のことだった。その指先の細さのこと。均整の取れた三角の耳のこと。気にいらないと僕を打つしなやかで強靭な尻尾のこと。絹布のような紫に一つまみの金箔を散らしたようなその紫金瞳のこと。考えたことの全てを僕は妹にそのまま喋った。たいていの場合妹はそこに誰もいないかのように黙って聞いているか、嫌いな野菜を僕の口につきつけるかだった。ごくたまに妹は面白がってくれた。
「誰が名づけたのかは知らないが、君にはもっと変な名前が与えられるべきだったよ。ぺんだるかとか、ぐんにゃるまとか」
「なにそれ。たとえばあたし、タカトオふぇい?」
 その音はちょっと違うなと思ったけれど言わないでおいた。
「そうだよ。間抜けな響きだけど、そうすれば君も僕と同じ狼人になって、そこらへんを走っている頭の足りない、でも美しい女の仔たちのようにきゃらきゃらと笑い転げていたかもしれない」
「そうね。そうかもしれない。賢いのね、おにぃ」
 妹は何か不思議な物を見たかのように目を瞬かせると、残飯を食べるような調子で皿の上の品を胃袋に収めにかかった。
 あの頃の僕は無知ゆえに幼かった。妹に向き合おうとして背伸びをしたところで、やはり妹は僕には及びもつかない高くて遠いところにいるのだった。それはいくら年齢を積み重ねたところで届くことのない、高くて遠いところだった。


 父は普通の銀行に勤めていた。多少ローンは残ったものの庭付きの一戸建てを構え、妻を幾つもの習い事に通わせてやれるくらいの収入を持っていた。家にいるときは大抵居間で新聞を繰っているか明かりのついたテレビをぼんやりと眺めているかで、子供たちに構うことなどほとんどなかった。ごくたまに、休みの日になると僕を庭に連れ出してキャッチボールをした。僕はこうしてボールを投げ合うくらいなら一緒に居間で寝転んで一緒に新聞を読んでみたかったし、実のところあまり父親が好きではなかった。それでも、自分がなにかしらの口実にされているのには気づいていたから、僕は誘われるとちゃんと待っていたんですという風をして玄関の靴箱からちょっと小さくなってきたグローブと変な色になってしまったボールを取り出すのだった。妹は決して誘われないままに、窓の中から僕たちを見ていた。ただ黙って、水槽に閉じ込められた金魚みたいにガラスに鼻を押しつけて声もなくボールを投げ合う僕らのことをじっと見ているのだった。
 母はもうちょっとはっきりしていた。家にいたがらなかった。月曜日は日本舞踊、火曜日は料理教室、水曜日は生け花、木曜日は声楽、金曜日はちょっと遠い町の料理教室。そこらの主婦とは全く違う、それこそ働いているのかというくらい忙しくしていた。子供をそっちのけにしてそれほど自分に情熱を注いでいるのに、不思議なことに母は身のこなしが優雅にもならなかったし、家の中に花が活けられることもなかったし、声が通るようになることもなかった。きわめつけに、料理はいつまでたっても同じ味だった。そのかわり、母の経験を吸ったがごとく妹は振る舞いが優雅になり、花を上手に花瓶に差すようになり、声はますます透き通って耳を塞ぎたくなるくらいうつくしく響くようになった。ただ、たまに気が向いたときに、僕の分だけ作ってくれる料理はまるで地球の奥底にあるマグマを掬ってきたみたいな味がした。半ばえずきながらそれを食べるたびに、母だってこれを食べれば少しは平気になるのではないかと思ったりした。それを言うたびに妹は癇癪を起こして僕を壁に叩きつけた。痛かった。


 妹が中学校に入った頃、父は家に帰ってこなくなった。銀行で一日の仕事を終えて別の場所に帰るようになった。当時妹は男を知ったところで、僕は反抗期を諦めたところだった。言いたくないが仕方なかった。父も母も妹を恐れていたし、彼女が雌に目覚めてからその傾向はいっそう強まった。特に、父は雄だったから。父の不在を口実に母はますます家を留守にするようになり、様々な雄に体を開いた妹はますますそのうつくしさと重圧を強めていた。僕はこれまでと変わらず一緒にご飯を食べてテーブルで話をして、僕なりに妹と関わり続けていた。反抗期の僕は反抗しようにも相手がいなくて寂しかった。父も同じような思いをしたのだろうか。
 妹は一週間に七つある夜の半分以上を雄に抱かれて過ごしていた。本当に誰とでもネルとか、ハゲシイとか、イイとか。相手は特に決まっていないようで、気の早い季節よりもっとずっと早く変わっているらしかった。そういう散り散りの噂を僕は聞く度にあのテーブルで妹に話した。
「おにぃ、おにぃ、あなたは私にどうしてほしいの?」
「どうもしやしないよ。どうもしないに決まってるじゃないか」
「そう。そうなの。おにぃ」
「そうだよ。そうなんだよ。そうだよ」
 いつのまにか、テーブルの上では擦り切れたやりとりが繰り返されるようになっていた。同じテーブルで、同じ二人が向かい合っているのに。その果てに僕はただ黙って床をどんどんと踏みならし、妹はそっと透徹した微笑ひとつ差し出して雄のところに出かけていく。
 雄と寝ていない夜は明け方に僕の布団に潜りこんできてはその紫金瞳から涙をぽろぽろと零した。妹は親の腕にとりすがる仔供のように優しく、仔供を抱きしめる母親のように餓えて、僕をきゅっと抱いていた。冷たいからだだった。柔らかで、とても痛い躰。同じ闇を呼吸しながら、僕たちは互いの鼓動におそるおそる耳を澄ましていた。眩暈がするような沈黙が僕らの隣に蹲っていて、余計な音を吹き消してくれていた。
「ねえ、おにぃ。この世の最果て、その南。そこには大きな樹が立っているの。偉大な樹よ」
「うん」
「その近くには川があって、川の底は金色にきらきら光ってるの。黄金が埋まってるのよ。私の瞳みたいな黄金が」
「うん」
「そこには赫い果実が流れてるの。私はそれを食べなかったの。食べられなかったの」
「かなしいんだね」
「かなしい。おにぃは凄いね」
「そうかな」
「わたしの心を、言葉にしてくれる」
「うん」
「かなしい。わたし、かなしいの。おにぃ」
 暗闇の中で、紫金瞳だけがきらきらとうつくしい光を保ち続けていた。そうして妹はひとしきり泣くと、太陽が昇る前に自分の寝どこへと帰っていくのだった。ぱたんと遠慮がちに閉じられるドアの音を聞いてから、僕は水の中から出たみたいに何度も大きく息をして、できるだけ我慢して泣いた。かなしかった。理由も分からないまま、妹にわかちあうことを許されたかなしみだけがあった。それは獣のような荒い息をつきながら、僕に残された沈黙を貪っていた。

 父が家に帰ってこないまま日々は過ぎていった。父の銀行は小学校の二階から見えるくらいだったから、会いに行こうと思えば会えた。それがかえって僕と父の距離を遠くしていた。
 その日、僕は朝からどうも調子が出なかった。まるで誰かが見えない毛布を巻き付けたみたいにひどく体がごわごわして、おまけに水中ゴーグルもつけられたみたいで、距離がどうも掴めなかった。そのせいで何度か妹の尻尾を踏みつけてぶちのめされた。母は僕の朝食を作ると責務を果たしたと言わんばかりに日本舞踊に出かけて行った。なので僕も歯を食いしばって、どうにかこうにか小学校に行った。なんとなく予想していたけれど帰ってきた頃にはどうしようもないくらい悪化していて、僕は家の鍵を開けて玄関に倒れ込むとそのまま動けなくなってしまった。
 床の冷たさが気持ちよかった。真夏の雨のようにひたすらに冷たかった。ふ、と思い出して僕はげた箱を開けた。履いてもらえなくなった革靴をどかすとひっそりと埃を被った水中ゴーグルがあった。いつだったか父が海につれていってくれると約束して買ってくれた青いゴーグル。まだ使ったことのないゴーグル。僕は頭痛を堪えてそれをつけた。世界が綺麗になった気がした。
 そして僕は待つことにした。どうでもよかった。かなしくもなかった。よろこびもなかった。誰でもよかった。ただこのまま、ただひたすら、この薄青い膜を被せられた世界の中をたゆたっていたかった。こうして仰向けになって息をしているだけで僕は幸せだった。そのはずだった。それでよかった。
 ぱたん、と世界のドアを開けたのは父ではなかった。母でもなかった。妹ですらなかった。僕の知らないふわふわの毛をした優しげな犬人のおばさんだった。彼女は玄関に転がった僕にびっくりしたみたいだったが、耳を揺らしただけですぐにその驚きを隠した。
「ねえ僕、お母さんはいらっしゃるかしら」
「しろ……しろいゆき。しろいゆきがぜんぶをおおっているんだ。そこにはなにもないはずなのになにかがあるんだ。ゆきのしたにみんないるんだ。みんながぼくのあしをつかんでゆきのしたにひきずりこむんだ」
「……ええ? なんですって?」
「だからぼくはぼくにてをのばすんだそうするとてがとどかなくてなきそうになるんだけどぼくもなきそうでてをのばしてくれるんだだからぼくはてをのばしてなんどでも」
「大丈夫?」
 おばさんは手を伸ばして僕の耳に優しく触った。気持ちのいい暖かさだった。
「つかもうとしたのにとどかなくてぼくはなきそうになるんだそこにいるのにちゃんとそこにいたのにとどかなくてとどかなくてだってぼくはぼくにてをのばしていないからぼくがてをのばしたのはぼくじゃなくてひかりだから」
「ちょっとあなた、すごい熱じゃない!」
 おばさんはためらった。
 ほんの一瞬だった。
 彼女はすぐさま携帯電話を取り出して救急車を呼び、病院に運ばれる僕についていてくれた。僕が手当を受けている間、ずっと外で見ていてくれた。
 おばさんは銀行の向かいにある花屋さんで、僕たちの代わりに父の帰りを待っている人で、父の不倫相手だった。どうしたことか母に似ていた。外見は全く違うのに、なぜか。逢引きは父が家に帰らなくなる遙か前から巧妙に行われていた。小学生の僕がそれを知ることなんてできはしなかった。目をそらすことに必死だった母は当然気付かなかった。
 妹だけが悟っていた。
「どうしてアンタがわたしたちの家に来てるのよ!」
 僕の病室で、妹は激高しておばさんを吊し上げた。父は慌てて妹に掴みかかり、母はそれを冷めた目で眺めていた。久しぶりに会った父はなんだか毛並みの色つやがよくなっているように見えた。僕はベッドの上でぼんやりした頭のままそれを見ていた。
「やめてくれ! 頼む、放してやってくれ」
「お父さんっ……」
 妹の哀願を聞いたのはこれが初めてだった。か細く、鋭く、それは氷柱のような呼びかけだった。妹がぐちゃぐちゃになっていた。腸をぶちまけた、どうしようもない訴えだった。
 それでも父は悲しげに首を横に振った。
 長い沈黙があった。
 僕はあのゴーグルが切れてしまったのだろうと想像した。埃を被ったゴーグル。青いゴーグル。使わなかったゴーグル。
 妹は心臓を押し潰されたように断末魔を一声放っておばさんを解放した。それで終わりだった。


 退院の日、帰り道で僕は妹を諭した。
「駄目だよ」
「おにぃ」
「あの人は、家に来るべきではなかった」
「おにぃ」
「当たり前の事だよ。あの人がしたのは誰でもそうするだろう、当たり前の事だ。するべきだし、して当然だし、しないといけないことだ」
「おにぃ」
「……あの人は迷ったんだ。それでも僕を助けてくれた。それは立派なことだよ。尊いことだ」
「おにぃ」
「だから、駄目だよ。駄目なんだ」
「おにぃ」
 妹は僕に抱きついた。冷ややかなからだだった。凍えた鼻を僕の頬に擦り付けて、妹は吐き気を誘うほど淫靡に、秘め事を告げるがごとき甘さで囁いた。
「駄目なのよ。おにぃ」
 そうなのだと僕は知っていた。

 アルバム一つ持って家を出た。
 母は起きない。だから僕は一人で迎えに行く。
 まだ太陽が起きていないから、町には霧しかいない。息を吸う度に胸の中に小さな水の粒子が忍び込んできて、ひどく厭だった。
 いつもの通学路を歩いた。妹は最後まで集団登校に参加しようとしなかった。そのくせ一人で帰るのは嫌らしくていつも僕が出てくるのをずっと小学校のちょっと汚い校門で待っていた。しっぽをゆらゆら揺らしながら、一人で。
 ああ、ああ、と息を吐く。誰もいない道に僕の白い悲鳴が溶けていく。叫んでも、叫んでも、残らない。

 いつもきれいに掃除されていた花屋前の道路には植木鉢が散らばっていた。どれもこれも粉々に叩き割られて赤茶けた骨のような土を晒している。脇に寄せておこうとしたけれど、平たく潰れてしまった茎に混じって指を見つけたからやめた。僕の耳に触れてくれた指だった。
 花屋のシャッターは銀紙みたいに引き裂かれていた。ぼろぼろな痕だった。まるでお伽噺の怪物が住む洞穴が何か残酷な間違いでこの現実に存在する花屋のシャッターに繋がったみたいだった。勇者にも生贄にもなってやれない僕はアルバム一つ持って断面に触れないよう気をつけながらその間をくぐった。
 店の中はふつりと息ができなくなるような暗さだった。どこかの誰かを飾るはずだった花々は壁に叩きつけられたり床に押しつけられたりしてこと切れていた。壁にはいくつか穴が開けられて、そこにはレジとかジョウロとか傘とかが滅多やたらに詰め込まれていて、その上からミートソースみたいな血と肉交じりのソースがかけられていた。そこかしこに染みついた感情がうぞうぞと蠢いていて、触れたら壊されてしまうほどの脆さに満ちていた。そんな生臭い暗闇の中で、紫金の瞳だけが炯々と輝いていた。
「おにぃ」
 優しく、儚く、温かい声。そんな声で呼ばれたのは、はじめてだった。
「来てくれたのね」
「うん」
「見る?」
「うん」
「見るの」
「うん」
 妹は床にぺたんと座りこんで白米を食べているときとは比べようもないほど美味しそうに貪っていた。あまりにもぐずぐずに崩れていたから、僕にはそれが花屋のおばさんなのか父なのか区別がつかなかった。わかりたくもなかった。妹は僕が思っていたより衝撃を受けていない様子で、僕はそれが悲しくて悲しくて、お腹の中身がぶくぶくと泡立っているような気分だった。
 妹は口を拭って立ち上がると、きゅっと強く僕を見据えた。
「おにぃ」
「なんだい」
「手、繋いでくれる?」
 差し出された手は血と涎でべたべたな上に人肉とか骨片とかが貼りついていた。シャッターを引き裂いたとは思えない小さな手だった。
「はい」
 差し出した手は尻尾で強く払われた。
「なによ」
「うん」
「なによぅ」
「うん」
「おにぃ……」
「……うん」
 妹はすっと背を向けて、それ、汚れちゃうでしょ、とだけ言った。
 カウンターの裏のドアを開けるとそこはもう生活空間で、父は両手両足を毟られてテーブルの上に乗せられていた。隅っこに慎ましく調味料の瓶が置かれたりしている感じのいい食卓で、父がここで毎日食事をしていたのかと思うとなんだか大人のいけない部分を見せつけられたような気持ちがした。
「さっき食べてたのは」
「あの女よ」
「うん」
「食べながら話して、いい? 私、お腹、すいてるの」
「うん」

 暗闇に包まれて、花々の骸に見守られながら、辱められた死者の傍らで、僕たちはいっぱいいっぱい話をした。どこまでもどこまでも、坂を滑り落ちていくトロッコのように、いっぱいいっぱい話をした。これまでとこれからの分の話を。妹は笑ってくれた。お腹を抱えて、心の底から笑ってくれた。それでも口に含んだ肉を吐き出したりしないのだから見事なものだった。こりこりこりこりこり骨を齧りながら、僕の言葉を一字一句残さず聞いてくれているのが伝わってきた。僕も嬉しくて、ちょっとだけ吐いた。

 そして朝が来た。

「おにぃ」
「うん」
「私ね、嬉しかったよ」
「うん」
「辛かったよ」
「うん」
「だから、ね、おにぃ」
「いくのか」
「いくよ」
 僕は怪物を殺してやる勇者にも、怪物の餓えを癒してやる生贄にもなってやれなかった。ただ、兄になら、今この瞬間くらいなら、兄になってやれるはずだった。
「これ」
 僕が差し出した、一冊しかない、それも半分しか埋まっていない、軽くて、軽くて、でも、僕たちのものだった家族のアルバムを、妹は拒絶した。
「だって」
 どこか恥じらいを残した花片のように、闇に咲き初む妹の手は赫だった。父とおばさんと、それから母と、妹の血で濡れていた。僕の血はその中に含まれていなかった。間違いなく、絶望すら撥ねつけるほど確かに、僕はそこにいなかった。
「おにぃ」
「うん」
「私ね、おにぃ」
「うん」
 最期の言葉。
 ありがとう、にも、愛している、にも見えた。殺してやる、にも、恨んでいる、にも、聞こえた。
 そして妹はいなくなった。
 僕はアルバムを壁に立てかけて、血の染みた床に横になった。眠りたかった。ただ少しでも眠って、眠ることで、妹が少しでも、そう、ただ少しでもすくわれることを願った。そんなことは決して叶わないことを知っていたから、それでも目を閉じて暗闇と血臭に身を浸した。
 せめて。
 くるしまないように。




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